夫と話すこと、話さないこと

ふたりの暮らし

夫とはよく話します。

記事「夫と暮らすということ」にも書きましたが、わが家は沈黙の夫婦ではありません。思いついたことをぽんぽん話して、よく笑っています。

でも、話すことと、話さないことが、分かれています。

これは長年の積み重ねで、できあがりました。トライ&エラーで出来上がったものです。

まず、よく話すこと。

その日にあったことです。散歩で見た花、体の調子。夕食の食卓で、お茶を飲みながら、ひとつずつ話します。

見たもの、読んだもの、感じたこと。「さっき、こんなの見つけた」と小さな発見を伝え合います。夫が気づいたこと、私が気づいたこと。小さな話題ほど、意外と盛り上がります。

家族のことも、よく話します。娘のこと、孫のこと、親のこと。遠くにいる人たちのことを話すと、なんだか近くに感じられる気がします。

これからやりたいこと、行きたい場所も、よく話題になります。「いつか、あそこに行きたいね」と、ふわっとした話を交わすのも楽しい。未来を楽しみにする時間です。

お金の話も、わが家ではよくします。

最近の株価の話や、これからの暮らしの予算、不安を並べるのではなく、計画として話すのです。「今年の夏休みは、〇〇に行こう。予算はこれくらい使えそうね」そんな会話を、ふだんからしています。

お金の話を避けないのは、数字を共有しているほうが、かえって安心できるから。何にいくら使えて、何が難しいのか、ふたりで把握していれば、むやみに不安にならずに済みます。時間をかけて、共有できるようにしてきました。

あとは、つまらないジョーク。くだらない駄洒落や、意味のない冗談を言い合って、ふたりで笑います。こういう時間が、いちばんリラックスできる気がします。

一方で、話さないこと。

過去の嫌な記憶は、話題にしません。誰にだって思い出したくないことはあります。でも、それを今さら引っ張り出して話しても、気持ちが沈むだけです。

人の悪口も、ほとんどしません。これは、お互いにそういう話題が苦手だからです。誰かのことを悪く言っても、自分たちが幸せになるわけではありません。

政治や宗教のような、意見が分かれる話題も、ふたりでは深入りしません。お互いに思うところはあるのでしょうが、議論して白黒つける必要を感じない。それぞれの中で静かに考えていればいいことです。

ニュースで、重たい事件が流れても、わざわざ食卓で話題にすることはありません。これは、私が何度も夫にお願いしてきたことです。

今では、夫は食事の用意ができると、ニュースではなく、さっと音楽(ジャズ)を流してくれるようになりました。心が痛むニュースがあっても、それを話してふたりで沈むより、静かに受け取るほうが、わが家には合っています。

これが、ルールのようになっています。

こうして書き出してみると、話さないことの共通点が見えてきます。悪意、論争、重さ。どれも、家の中の空気を重くするものです。

家は、心を休める場所だと思っています。外の世界には、悪意も論争も重さもたくさんある。それを持ち込まずに過ごせる場所が、自分の家であってほしい。

だから、わが家では、軽やかでいられる話題を選んで話す。お金のような現実的な話題も、前向きに話せるなら、むしろ共有する。これは、ふたりで暮らすための、ちょっとした工夫のようなものです。

夫とよくしゃべるわが家ですが、どんな話題でも取り上げているわけではありません。

話すことと、話さないこと。その選び方が、わが家の空気を作っているのかもしれないと、最近は思います。

軽やかな話題と、共有しておきたい話題。それだけで、今日も笑っていられます。


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